宮田識は、2014年7月から、国立大学法人 京都工芸繊維大学 KYOTO Design Lab(以下D-lab)の所長を務めています。そのD-labは、国立大学の質の向上を目指す文部科学省の「機能強化事業」のもとで設置され、社会的課題の発見と解決に取り組んでいます。D-labがスタートして一年。一年間国立大学法人に付き合ってみてどうだったか、またこれからのD-labをどのように考えているか、本日はD-labの小野芳朗ラボラトリー長(京都工芸繊維大学 副学長)と宮田識の対談です。

Interview:西澤明洋氏(エイトブランディングデザイン)

 

国際的な競争力をいかに高めるか

ーー今日はこの一年を振り返ってみたいと思います。そもそもなぜD-labを作ったんでしょうか。

小野 社会的な要請があったというのが一番の答えです。全国的に、国立大学には国際的な競争力が欠けているという批判があります。そこで本学は、従来評価をいただいているデザインと建築の教育・研究を中心に、大学改革を進めることにしました。
具体的には、世界のトップクラスの大学やデザイナーを直接招いてPBL(プロジェクト・ベースド・ラーニング=課題解決型学習)を実施し、教員も学生も同じプラットフォームで勉強することにしたのです。私たちはこのスキームを「海外ユニット誘致」と呼んでいます。この改革の実験場が「D-lab」であるという考え方です。今までの大学ではできない野心的な教育・研究に取り組む。そのためにスタッフも揃えました。

ーーこれまでで初めての取り組みですか?

小野 はい。学内にはさまざまな研究センターがたくさんありますし、デザイナーや建築家も大勢います。でも、それだけでは足りない。抜本的な改革が必要です。そこで、大学の外にいるプロフェッショナルに組織全体のディレクションをお願いしたいと考えたのです。

ーーそれが宮田さんということですね。どうして宮田さんだったのですか?

小野 宮田さんはブランディングディレクターとして日本のトップに位置するデザイナーだからです。どうやって宮田さんに本学のお仕事をお願いするのかを検討した結果、所長になっていただくことに決めました。

ーー大学の機関をディレクションする、しかも所長というポジションで。責任もあるし、ドラフトの仕事とも異なるので難しかったと思うんですが、宮田さんの一番のモチベーションは何だったのでしょうか?

宮田 ここ数年で、デザインってものをつくることじゃないなという思いがはっきりしたんです。たしかに何かをアウトプットすることが僕らの仕事だけど、考え方やものごとの時間軸もデザインです。政治だって同様です。もともと、日本では高校まではすごく真面目に勉強しているのに、大学では途端に遊んじゃう。このままじゃ日本はダメになってしまうなと思っていました。
京都工芸繊維大学には、建築やプロダクトデザインだけじゃなくて、機械工学や電子、繊維に伝統工芸もある。それらがデザインを中心につながっているはずの大学なんだから、所長は僕がやるべき仕事だと思いました。海外から専門家や学生を呼んでくるということは、新しい関係が生まれるということです。別のカルチャーから初めて受け取れることもある。家族や先生からじゃなくてね。そういうものを手に入れられる学生がいるのなら、引き受けていい仕事だなと思いました。
大学のマネジメントも改革する

ーー小野先生のマネジメント観をお伺いしたいです。今、小野先生ご自身はどんなスタンスで大学運営を行っているのでしょうか。

小野 本学に限らず、大概の教員は研究室という自分の城を守ることを考えている。タコツボに陥って大学全体の成長が止まっています。
まず宮田さんがすごかったのは、研究経歴の比較的短い若いスタッフだけでブランディングの会議を構成したことですよね。大学組織の問題点を見事に見抜かれている。この会議に集まるのは頭の柔らかい人ばかりなんです。上意下達のピラミッド型のマネジメントではなく、できる人がみんなでやるというふうにしていきたいと思っています。
また、誘致した「海外ユニット」とワークショップを繰り返していますが、引っ張っていける人とそうじゃない人が完全に分かれますよね。ワークショップの運営では、現場との交渉や人員の配置、柔軟なコミュニケーション能力が必要で、古いゼミのような感覚でとらえると破綻してしまうと思います。

ーー最初にどういうふうにD-labを進めていったのですか?

宮田 他の会社のブランディングと同じです。それぞれ仲間がいて、役割を持っている。年齢も違うし能力差もある。いろんな人たちがいたから様子を見ないといけないですよね。そこで最初に「ロゴマークをつくろう」と投げかけたんです。でも所長に能力を試されるのか? と教員から苦情が来ましたよね(笑)。
僕は、出てきたロゴマークにコメントはしましたが、評価なんてしなかった。だって、自分の考えをまとめるための作業なんだから。だから、おそらくみんなは「なぜ答えがないんだ」と思ったんじゃないかな。普段は答えが存在する世界で戦っている人たちですから。

小野 宮田さんが一番最初に私たちに強く言ったのは、「デザインの目的は平和だ」ということ。でも、何のことか、みんなポカンとしてましたね。

ーー宮田さんのレクチャーが始まったんですね。

小野 D-lab設立当初から〈京都〉というコンセプトはキーワードでしたが、春先に本学のスタッフと議論していた時期には、もっともらしい理論は出てくるがその先結局我々がどう行動するのかが提示されず、もどかしさがあった。一方、宮田さんが所長になった秋以降の議論の中では、清水重敦先生(専門:文化遺産保存)が京都のグリッドの由来に注目したロゴを提案して、みんなそれに反応しました。次の打合せで私が京都市中心部の「町(ちょう)」を構成する〈両側町〉の仕組みを示して、京都を東西南北のグリッドと、「町(ちょう)」境の斜めの線が浮かび上がってきました。この斜めの線は街を歩いていても気づきませんが、京都の都市の見えない構造を示しています。
D-lab

150908_両側町
※町名は街区単位ではなく、通りを基準に与えられる。通りの両側が1つの町となるため、街区内は「×」状に分けられる。

 

専門性を引き立てあう、〈和える〉組織に

ーーD-labの役割ってなんなのでしょうか。

小野 宮田さんと私との会談で、最初の3回ぐらいは根本的な話をたくさんしましたね。

宮田 春先に貴学のスタッフだけでされていたという、D-labの将来像に関する議論は、社会に対してある興味を惹くようなトピックを投げかけらればいいという内容でした。でも違いますよね。もっと腹くくんなきゃいけない。海外の大学と対等に付き合って、むしろリードしていかなきゃいけないのに、内輪でまとまっても仕方ありませんよ。

ーーD-labにとっての〈和える〉(あえる)というのもひとつのキーワードになっているそうですが、これはどういうことでしょうか?

小野 宮田さんと月に2回の会議を繰り返して生まれたコンセプトが〈和える〉なんです。「和える」と言い出したのは仲隆介先生(専門:ワークプレイス)です。京都は「煮る」文化ではなく、それぞれの素材の味を互いに引き立てる「和える」(あえる)文化なんですね。繰り返し話し合いを進めていくうちに、そのことに気づいたということです。実際、京都での人間関係でも、煮詰めた人付き合いをするのではなく距離感を保つ、つまり和えることが大切です。そのための「場」としてD-labを考えよう。宮田さんとの議論を通じて、参加者がその目標を共有できるようになりました。

ーー〈和える〉というのは大学らしいなと思いました。企業だと和えるでは終わらないですよね。煮て固めたくなる。〈和える〉で止めるのは難しそうですけど。

宮田 今成長が止まっている企業は、旧来の日本の大学と同じような組織になってしまっています。社長のリーダーシップが弱いまま、数年ごとに社長が交代してしまう。もっとひどい組織では、先進的な事業を行うはずの子会社ができても2年程度で社長の交代。これでは、付き合わされる社員はたまらない。せっかくD-labができても、昔からの大学の仕組みのままで動かそうとしたんでは何の意味もないわけです。

小野 今までと同じ大学の仕組みではだめだということですね。それが「場(=D-lab)」が必要だという話しにつながる。

宮田 会議を重ねて半年経って施設のあり方を議論した時に、研究室のような仕切りが必要だという話はまったく出なかった。その時「お、変わったな」と思った。

ーーホントに必要なつながり方ですね。今、実際にプロジェクトが始まっていますが、それはどういったものですか?

小野 最近のデザイン学は、インクルーシブ・デザインの発想をベースに、社会のマイノリティをどう考えるのかを問題にしています。どうやって人間を再生していくのかという取り組みです。一方、建築学はもともと人、つまりクライアントのための業ですが、肝心の都市が老朽化してしまった。D-labでは、その都市をどう再生するのかを大きなテーマに掲げています。誘致した「海外ユニット」の得意分野を〈和える〉ことで、こういった課題を解決することが明確になってきました。
また、都市を理解するためには何をリサーチし、どう考えを展開したらいいのか。そもそも都市はどのように生きているのか。これも大きなテーマです。D-labでは、他の大学では展開していないことを行い、いろいろな大学の得意分野をD-labで「和えて」いけたらと考えています。目的はデザインじゃない、都市と人間を視線に置いた平和なんですから。

 

D-labの継承を見据えた動き

ーー実際に場作りじゃなくてプロジェクトベースでやってるんだと思うんですが、全体の何割ぐらいが海外プロジェクトなんですか?

小野 90%以上です。

ーーそうすることでこの1年間で変わってきたことありますか。

小野 D-labを1年間続けましたら、学生だけでなく、彼らを指導している教員も留学したいと言ってきたんです。素晴らしい動きです。私の日常の仕事は、D-labの活動を活性化するためのスペースを確保し、誘致した海外ユニットとの関係性を若手に引き継ぐことです。そして国立大学という古い体質のシステムを変える、これもD-labの大きな使命です。

ーー海外の大学と接触があるだけでぜんぜん違うんですね。学生はどの程度参加できるんですか?

小野 1つのプロジェクトについて10人から25人程度です。公募することもあるし、最初から指名することもあります。5日もあれば学生は一生懸命こなせるものです。

ーーD-labが一年経って、これからはどういう方針で活動されるんですか?

宮田 僕はとにかく実際にラボセンターを作りたいです。それでいろいろ変わると思っています。オープンな場所で、誰でも入ってこられる空間。そこで何かを始めるのが大事なので。それが実現したら、場所取りが必要なぐらい活発な場になるのではないかと考えています。

小野 僕もD-labを作ることが理想です。「海外ユニット誘致」は今のところそれぞれの専門のアンバサダーがいるから進んでいるけど、そのことを若手に引き継いでいく仕事もこれからですね。

宮田 みんなが作ったものを発表する場を定期的に、世界中に発信したいですね。

小野 はい。

 

KYOTO Design Lab
KYOTO Design Lab(D-lab)は、デザインによる社会変革のために、デザインの実践に直結する方法論を考究する場。世界中から招いた一流のデザイナーや研究者が文化都市・京都に滞在し、さまざまな視点からプロジェクトに協働するパートナーとともに、成熟した都市の再生や、成長する都市の持続可能性、超高齢社会における快適な暮らしの設計のための課題の発見と解決に取り組んでいる。
京都工芸繊維大学 KYOTO Design Lab Facebookページ

 

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